この記事では、「ナバホ族」の銀細工の歴史について簡潔にまとめています。
ナバホ族の「アツィディ・サニ」が広めた銀細工
インディアン・ジュエリーの本場、アメリカ南西部で銀を使いはじめたのは、メキシコ人の鍛冶屋からナバホ族の「アツィディ・サニ」という男性が手ほどきを受けた「1853年ごろ」からだと言われています。
その後、西部開拓時代の1864年にアメリカ軍がナバホを攻撃し、アリゾナ州北部で暮らしていた9000人以上のナバホ族は故郷を追われ、陸軍のサムナー砦に収容されました。その砦の中でアツィディ・サニらは、銅や真鍮を渡され馬具作りの作業を強いられます。
そこでアツィディ・サニは、仲間たちに技術を教え、余った材料でブレスレットなどを作るようになり、その後リザベーション(居留地)に戻ってからも、砦で覚えた金属細工の技術を磨いていったそうです。
20世紀手前から本格的に「トレーディング・ポスト」で販売
それから、アメリカ・インディアンと白人との間で交易が始まり、1870年代初めには、アリゾナ州ガナードやメキシコ州クリスタルに「トレーディング・ポスト」が設立されました。白人経営の交易所にインディアンは家畜を、メキシコ人は銀細工を食料品や日用品と引き替えに置いていったそうです。
1870〜80年代になると、ナバホ独自のジュエリーを作り始め、ネックレス、指輪、ブレスレット、コンチョ・ベルト、バックル、ブローチ、イヤリングなどさまざまなシルバー・アクセサリーを形にしていきます。そして20世紀に入る頃から本格的に「トレーディング・ポスト」で、白人の仲買人や旅行客相手にジュエリーを売るようになったとのことです。
参考:「大地の贈り物 インディアン ジュエリー ターコイズ」(ワールドフォトプレス)
参考:「インディアンの日々 生きることの迷ったら、インディアンの声を聞け」著)横須賀孝弘(ワールドフォトプレス)
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